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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)1610号 判決 1971年4月30日

原告

斎藤尚一

ほか一名

被告

田中忠明

ほか一名

主文

一、被告らは各自

(1)  原告斎藤尚一に対し、金三、六八二、九四六円および内金二、一三五、〇〇〇円に対する昭和四三年四月七日から、内金一、二九七、九四六円に対する昭和四四年三月二三日から、内金二五万円に対する本判決言渡日から、

(2)  原告斎藤きくえに対し金三〇万円およびこれに対する昭和四三年四月七日から、

それぞれ右完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払え。

二、原告らのその余の請求はいずれも棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分してその一を原告らの、その余を被告らの負担とする。

四、この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

被告らは各自、

(1)  原告尚一に対し金五、一五四、八七五円および内金二二〇万円に対する昭和四三年四月七日(訴状送達の翌日)から、内金二、九五四、八七五円に対する昭和四四年三月二三日から、

(2)  原告きくえに対し金五〇万円および内金三〇万円に対する昭和四三年四月七日から、内金二〇万円に対する昭和四四年三月二三日から

それぞれ完済まで年五分の割合による金員(民法所定の遅延損害金)を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに一項について仮執行の宣言。

二、被告ら

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二、当事者の主張

一、原告、請求原因

(一)  本件事故の発生

日時 昭和四〇年二月五日午後七時ごろ

場所 大阪市港区夕凪橋二丁目一〇番地先横断歩道上

事故車 普通貨物自動車(大四ら六七〇五)

運転者 被告忠明

態様 原告尚一が北から南へ横断歩行中、折から東から西へ第二通行区分帯を進行してきた事故車にはねとばされた。

受傷 原告尚一は開放性頭蓋骨々折、頭部挫創、脳しんとう症、脳内出血、右下腿骨折の傷害を受け、頭部外傷後遺症により全身けいれん性発作を再三起し、高度の脳萎縮を起した。

(二)  帰責事由

1 被告三郎は事故車を所有し、これを自己の経営する土建業田中組の業務の用に供していたものであり、被告忠明は被告三郎の子で、同被告に雇用され現場監督として事故車の運転業務にも従事し、その業務執行中左記過失により本件事故を惹起した。

2 被告三郎は右側に併進車があり右側の見とおしが不良であつたから、適宜減速緩行して前方の横断歩道を横断中の歩行者がないかどうか確かめ、歩行者がいるときは一旦停止してその通行を妨げないようにする注意義務があるところ、これを怠り制限速度(時速四〇キロメートル)を超える時速五〇キロメートル以上で漫然進行した過失により原告を発見して急停車の措置を講じたが及ばず、本件事故を発生させた。

3 被告三郎は自賠法三条さもなくば民法七一五条により、被告忠明は民法七〇九条により、本件事故から生じた原告らの損害を賠償すべき責任がある。さらに被告らは原告尚一に対し、昭和四〇年一二月一七日公正証書により、本件事故にもとづく後遺症が生じた場合の損害について直ちに賠償する旨約したから、示談契約による責任もある。

(三)  損害

原告尚一は前記事故当時の受傷により事故当日から昭和四〇年九月八日まで約八か月間の入院加療を要したが、昭和四〇年一二月ごろ、事故前に勤務していた大阪市東淀川区十三西之町二の一七、有限会社三輪塗装工業所の塗装工に一旦復帰し、約一か月稼働した。ところが性格異常、知的能力の低下が生じ健康状態も不良で再び休業せざるをえず、さらに昭和四一年二月にも再度勤務したが、勤務先から解雇されるに至つた。そして同年一二月七日前記後遺症により全身けいれん発作により転倒し、じ後四回繰返し、昭和四三年五月以降は労働能力を全く喪失するに至つている。

(原告尚一関係)

1 逸失利益 四、六九〇、八七五円

原告は、事故前月収六万円の収入があつたが、前記のとおり三輪塗装では稼働できず、昭和四二年五月ころから、翌年四月末まで昭和機重株式会社の下請塗装業者である伊藤方において、日収一六〇〇円で月間一五日程度稼働していたにすぎない。原告尚一は本訴提起時六一才で、きわめて強健な身体の持主であつたから、平均余命一四年余(第一〇回生命表)の半分である七年間は今後塗装工として就労しえた。このことは塗装工が手先の熟練度に依存するもので重労働でなく、また労働市場において右職種の供給が少い事情からも、事故がなければ原告尚一は当然右期間就労の能力と機会を持ち、収入を維持しえたことは確実である。

(1) 41・42年 減収額各四三二、〇〇〇円

(六万円×一二)-(一六〇〇円×一五×一二)

(2) 43・1・1~43・3・21 九四、六八五円

四三二、〇〇〇円を基礎として、本訴提起までの日数により按分したもの。

(3) 43・3・22~43・4・30 三六、〇〇〇円

一か月とみなして算出

六万円-(一六〇〇円×一五)

(4) 43・5・1~44・4・30 六八五、七一四円

六万円×一二×ホフマン係数、以下同様の計算方法

(5) 44・5・1~45・4・30 六五四、五四五円

(6) 45・5・1~46・4・30 六二六、〇八六円

(7) 46・5・1~47・4・30 五九九、九九九円

(8) 47・5・1~48・4・30 五七六、〇〇〇円

(9) 48・5・1~49・4・30 五五三、八四六円

2 慰謝料 一二〇万円

原告尚一の病状、精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができない後遺症など一切の事情を考慮すると、その精神的苦痛をいやすには少くとも右金額を相当とする。

3 弁護士費用 三〇万円

着手金六五、〇〇〇円、報酬二三五、〇〇〇円

(原告きくえ関係)

慰謝料 五〇万円

原告きくえは原告尚一の妻であるところ、原告尚一の病状、後遺症により人格が全く他人の様になり、死にも匹敵する精神的苦痛を被つた。

(四)  損益相殺

原告尚一は自賠責保険金一〇〇万円の支払をうけた。

(五)  よつて、原告らは被告らに対して、第一の一記載のとおりの支払を求める。

二、被告ら

(一)  請求原因に対する認否

本件事故の発生は受傷を不知のほか認める。

帰責事由は示談契約にもとづく賠償義務の点を除き認める。

損害はすべて争う。

(二)  示談の成立とその効力について

原告尚一と被告らとの間に昭和四〇年一二月一七日後遺症の発生した場合を除き被告らの賠償金額をきめた示談が成立している。ところで原告尚一の後遺症の発生は昭和四一年一二月七日であるから、同日以前の損害については右示談の効力が及び、すでに解決ずみである。本訴における同日以前の損害請求は理由がない。

(三)  損害について反論

原告尚一の現症状と本件事故との間には必ずしも因果関係がない。外傷後に脳の全般性高度萎縮が発生するのは非常に稀であり、実例もほとんど存在しない。右脳萎縮は、原告の年令、事故後相当の年数経過後に発現していることなどから勘案して、原告自身の先天的、後天的素因にもとづき自然に発生したものと推論することができる。かりに事故による外傷が、原告の先天的、後天的素因による脳萎縮の発現を早めたとしても、被告らが右後遺症についての責任の全部を負担すべき理由がない。

三、原告

被告ら主張(二)の示談が成立したことは認める。

第三、証拠〔略〕

理由

一、本件事故の発生は、原告尚一の受傷を除き当事者間に争いがない。

〔証拠略〕によると、原告尚一は本件事故により頭蓋骨々折、頭部挫創、脳しんとう症、脳内出血、右下腿骨折の傷害をうけたことが認められる。

二、被告らの責任

原告ら主張の帰責事由12は被告らの認めるところであるから、被告三郎は自賠法三条により、被告忠明は民法七〇九条により本件事故から生じた原告らの損害を賠償すべき責任がある。なお〔証拠略〕によると、原告尚一と被告らとの間に昭和四〇年一二月一七日本件事故による原告尚一の損害について示談契約が成立したこと(この点当事者間に争いがない)その際契約成立以降、後遺症が発生したときは、それについての責任一切を示談内容とは別に被告らにおいて負担することを約し、その旨公正証書を作成したことが認められる。この場合に示談とは、損害賠償として一定額の支払いを約し、内容的に確定され、それ以上請求しない当事者間の合意でなければならない。右後遺症に対するものは、示談内容として除外したものであり、被告らの責任の所在を明らかにしたものにすぎないから、前記法条による責任のほかに、示談契約にもとづく賠償義務も認めうるものでない。

三、示談の成立と効力について

前記のとおり、原告尚一と被告らとの間に示談が成立しているが、〔証拠略〕によると、示談の具体的内容は、被告らが原告尚一に支払義務を認めたのは次のとおり金一、一六六、五九〇円であり、既払分を除き五八四、一七五円を昭和四〇年一二月末日までに支払うこと、

内訳 治療費、小川病院分 四三四、一七五円

同阪大病院分 三、六〇〇円

同新梅田クリニック分 四、一五五円

入院雑費 四二、四八〇円

交通費、原告尚一長男の休業補償 二九、五〇〇円

着衣等損害 二二、〇二〇円

付添家政婦 七〇、六六〇円

休業補償40・2・6~10・31 三六万円

慰謝料 二〇万円

であつたことが、〔証拠略〕によると、原告尚一がこれを受領したことがそれぞれ認められる。そうすると、示談内容では昭和四〇年一一月以降の休業補償は含まれておらず、また原告主張のとおり示談成立当時は原告尚一は原職に復帰し稼働していたのであるから、一応治ゆしたものとして示談をし、それまでの損害については一切解決したものと認めるべきである。だがその後に後遺症が発現すれば右示談の効力が及ばないことは、これを除外した趣旨からも明らかである。本訴は請求内容から後遺症にもとづく請求と認められ、問題は後遺症の発現時期であるが、その内容と共に争いがあるので、後記の四に認定する。

四、原告尚一の後遺症について、

〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。

原告尚一は、前記受傷により大阪市港区、小川病院に昭和四〇年二月五日から同年七月七日までと同年八月一日から同二一日まで入院し、その後通院して同年九月ごろ一応治ゆした。そこで事故前の勤務先である有限会社三輪塗装工業所の塗装工に復職し、一か月ほど稼働したが、腕の確かな職人であつたのに能率は落ち、何となく言動がおかしいため、同社をやめさせられた。そのため佐藤塗装、大和工業所という勤務先へ変り、当時塗装工が少く仕事の需要が多い関係もあつて、高所での仕事は不適であるも、平場での仕事に昭和四三年三月まで従事してきた。その間昭和四一年一二月七日全身けいれんを起し、じ後発作数回に及び頭部外傷後遺症にもとづく外傷性てんかんによるものであつた。その後の治療、検査結果は左記のとおりである。

42・5・9~5・10 大阪市住吉区、南港外科入院

42・5・11~6・3 同通院

43・7・30~10・12 大阪市北区、北野病院内一三日間入院、精密検査をうけた。

43・9・6~10・13 同病院、通院

脳波検査、心理検査等により、両側前頭部の脳波異常、脳室拡大、性格異常、知的水準の低下が認められ、後天的障害と推定され、しかも精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないと診断された。

44・4・16~5・17 大阪大学第二外科に鑑定のため入院

44・5・18~7・12 同通院

鑑定の結果、診断名は脳の全般的高度萎縮による重症痴呆とけいれん発作であり、本件事故との因果関係については、原告尚一の六一才の年令、動脈硬化症等の内的因子から考慮して、「その関係を断定することも、実証することもできず、外傷により発生したであろうという推論の域を脱しない。」ところで頭部外傷後の脳室拡大は、三〇%ないし四五%認められるところであるが、拡大程度は外傷の軽重と必ずしも平行せず、骨折がなくても起りうる。また軽度の外傷でも全般性の高度萎縮が起りうる。この症状は脳内の小出血が脳室周囲の抵抗稀弱部にびまんして生じた場合に起りうると考えられているが、原告尚一の場合、開放性脳挫傷でなく、一挙に全般性脳萎縮を起す程激しい外傷でなく、もしこの症状が外傷後発生したとするには脳ずいが全般的に抵抗力が小さいという内的因子を有していて、受傷時外力に対して、この激しい反応を示したという仮定がなければならず、この抵抗力を検査する方法はなく、結局脳実質の検査で確認するよりほかに外傷との関係を断定することができないから、右のように結論するに至つた。なお外傷性てんかんは高度脳萎縮の患者に発生するのは当然で、部分的な表現にすぎない。さらに稼働能力等について運動機能に障害はないが重症痴呆で年令をも考慮して稼働能力はほとんど不能であり、普通人同様の感受性はない。外傷により高度の脳萎縮が生ずることは非常に稀であるが、開放性脳挫傷でない患者から、外傷後二か月にして高度の脳萎縮を生じた例もある。

ところで、鑑定の結果では原告尚一に開放性脳挫傷がなかつたことを前提としている。〔証拠略〕では、開放性脳挫傷と開放性頭蓋骨々折とは同じものと考えてよいというのであるが〔証拠略〕にはいずれも開放性頭蓋骨々折と診断されていて、この点鑑定の結果では看過されたのか疑問が残るが、右六川の証言では大阪大学での検査結果には出なかつたから、右症状はなかつたとのことであり、むしろ検査結果を信用するべきであろう。

他に右認定に反する証拠はなく、そうすると、原告尚一は、一応治ゆをみて稼働をはじめた昭和四〇年一二月ごろにすでに言動に異常がみられ、事故後一年一〇か月にして全身けいれん発作が認められていて、結局昭和四三年三月ごろから稼働もできなくなり、脳萎縮による症状であることが明らかとなつた。これが外傷によるものとの推論がなされるも医学的には断定できないのであるが、受傷経過からすると継続した過程を示しており、反面他の理由から脳萎縮が生じたと認めうる証拠もなく、外傷から生じたであろうという蓋然性はきわめて大きいものといわざるをえない。しかし鑑定の結果でも指摘されている内的因子ということも考慮しなければならず、これを損害額算定上斟酌すべきものと考える。

五、損害

原告尚一関係

1  逸失利益

(1)  減収損

原告尚一は事故前三か月間の収入合計は一七七、四八〇円であり、事故後稼働をはじめてから、勤務先の変更、発作治療等で休んだ日数も多いと考えられるが、大和工業所から昭和機重機の仕事をしていたころは、平均月二五日稼働日給一、八〇〇円であつたから、休業日数の明確な立証がない本件においては、右収入でもつて減収損を算出する。(〔証拠略〕)

なお後遺症の発生は、すでに昭和四〇年一二月ごろには発現しているので、原告主張の昭和四一年から逸失利益を求めることは、前記示談の効力とは牴触しない。

事故前の原告尚一の平均月収は五九、一六〇円であり、事故後の平均月収は多くとも四五、〇〇〇円であるから、一か月の減収は一四、一六〇円である。

41・1~43・2分

一四、一六〇円×二六=三六八、一六〇円

43・3・1~3・21

一四、一六〇円×21/31=九、五九〇円

43・3・22~43・4・30

一四、一六〇円

(2)  将来損

原告尚一は明治四〇年八月一五日生れ(前掲甲七号証、昭和四三年三月現在六〇年七か月)で、六一才として平均余命一五・〇四年(第一一回生命表)である。原告尚一の職業は健康であれば七〇才近くでも平場の仕事なら可能であり、日給二、〇〇〇円から二、五〇〇円程度の収入になることが認められ、事故前健康であつた原告尚一は今後少くとも六年間(昭和四九年四月まで)は稼働しえたはずである。(〔証拠略〕)

昭和四三年三月二二日以降七年間の将来損は新ホフマン係数により中間利息を控除して、次のとおり算出する。

五九、一六〇円×一二×五・一三三=三、六四四、〇一九円

ところで、これらの合計四、〇三五、九二九円のうち、前記四に認定した後遺症が外傷の関連性を一〇〇%と認定することは困難であり、他の因子の存在の可能性もありうるので、その外傷との直接性や公平の原則から考慮して、本件事故による損害はその四分の三・七五%とに限り認めるのが相当であるから、損害は三、〇三二、九四六円となる。

2  慰謝料 一四〇万円

原告尚一の前記後遺症は自賠法施行令別表三級の三に該当し、前記因果関係等諸般の事情を斟酌すると、その精神的苦痛に対する損害として右金額が相当である。

(原告きくえ関係)

慰謝料 三〇万円

原告きくえは原告尚一の妻である。(〔証拠略〕)原告尚一は前記後遺症により、全く感受性のない別人格に等しい廃人同様となり、死に匹敵する程の苦痛を味つていることが認められるから、その損害として右金額が相当である。

六、損益相殺

原告尚一は自賠責保険金として一〇〇万円を受領しているので、前記損害から控除する。(なお、原告が訴状に記載する慰謝料二〇万円は、甲二号証記載の慰謝料であり、本件損害額から損益相殺すべきものでない。)

七、弁護士費用(原告尚一分) 二五万円

(弁論の全趣旨、認容額、本案の難易等)

八、結論

被告らは各自

(1)  原告尚一に対し、金三、六八二、九四六円および内金二、一三五、〇〇〇円(弁護士費用の一部を除く)に対する訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和四三年四月七日から、内金一、二九七、九四六円(拡張分)に対する昭和四四年三月二三日から、内金二五万円(弁護士費用)に対する本判決言渡日から、

(2)  原告きくえに対し、金三〇万円およびこれに対する昭和四三年四月七日から

それぞれ右完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。原告らの本訴請求は右限度において正当として認容し、その余はいずれも理由がないから棄却することとする。訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用する。よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 藤本清)

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